加藤 功(かとう いさお)。1960年9月20日、岐阜県多治見市生まれ。
家族は、妻、長男、長女、私を入れて4人。
子供たちは社会人になって独立しております。
仕事以外に取り柄のない私ですが、唯一の趣味は楽器の演奏です。
興味がありましたらご覧ください。
学歴・職歴については、自慢できるようなもんじゃありませんので、
興味のない方は読み飛ばして下さいね。
1979年、愛知県春日井市の中部工業大学附属高校(現春日丘高校)卒業後、ゴルフ場キャディ、
道路標示施工員、スキーロッジアルバイト、ジャズレストランウエイター、
老舗旅館の送迎運転手兼下足番兼なんでも係、喫茶店員、ゲーム場店員、八百屋店員、
旅行添乗員、スキーフォトカメラマン、ゴルフ場カメラマン、卒業アルバム制作、
室内装飾業など幾多の職業を経験しながら日本各地を周りまして、
その放浪癖は日本だけに留まらず、北米、中米、東南アジアへも足を伸ばしました。
こう言うと、「トンだフーテン野郎だな!」 と思うかもしれませんが、
各々の仕事場では、指示されたことを真面目に一生懸命働きました。
不祥事をやらかしてクビになり、逃げるように次の職場へ移っていったわけではありません。
日本各地の風土に触れてみたい、色々な世界を知りたい、という好奇心が並外れて強かったのです。
その後、いい加減に落ち着けという親兄弟の忠告があり、1991年に地元に落ち着きました。
そして、タイル工事業を営んでいた父親の勧めもあって、外壁クリーニングのフランチャイズに加盟し起業したのです。
当時はバブル経済がはじけた直後でしたが、地方にはそれほど影響がなく仕事も順調にとれました。
外壁クリーニングだけに留まらず、それに附随する塗装工事、防水工事、
タイル工事なども請け負うようになりまして、売り上げも年を追うごとに増収増益となり調子づきました。
しかし、調子にのって足元ゆるむとバチがあたるのか、起業して8年が過ぎたころ、
重度の椎間板ヘルニアで腰痛が長引き、仕事もままならない状態になったのです。
激痛で腰をまっすぐに伸ばすことができず、
深夜布団の中で寝返りをうつたびに悲鳴をあげて目が覚めるという、地獄の日々が約一年間続きました。
周りの方々が心配して、この治療がいい、あれがいいなど、とても親身になって下さいました。
最終的に、自分に合うとても良い治療法に巡り合うことができ、
おかげさまで痛みがウソのようになくなり、完治したのです。
その後、仕事がおろそかになったのを取り戻すべく、積極的に仕事を取りにいきました。
運良く新規の取引先ができ、いきなり高額のリフォーム工事を受注できたのです。
ところが、
1ヶ月半に及ぶ工事が終わり、やれやれと思っていた矢先にトンでもないことが発覚しました。
仕事をくれたその工務店が丸ごと夜逃げをしたんです。
一昼夜その会社の前で待ちましたが、
現れたのは私と同じように”やられた”人たちばかりです。
入口のドアには、強烈な罵声を書いた張り紙が無数にあったので、
もしや、計画的な夜逃げ倒産かと思い、同じ目にあった方々数人と連絡をとりあって、
警察や弁護士に相談しましたが、結局は一円も取れる見込みがなく、
あてにしていた多額の工事売掛金は全部パーです。
脱力感でなにも手につかなくなった私は、もう止めて整理しようと考えはじめました。
しかし、家族の引き止めと励まし、叱咤激励、親兄弟、親戚や周りの方々に助けられ、
すんでのところで倒産は免れたのです。
地道に手堅く、継続的にという方針を固めてなんとか盛り返し、
もう少し踏ん張れば元通りになるかなと、徐々に息を吹き返してきた私を邪魔するかのごとく、
今度は、父と兄が経営するタイル工事業の方が、あることがきっかけとなり傾き始めたのです。
いろいろなトラブルに巻き込まれるということも重なり、みるみるうちに経営が悪化して、
すぐに倒産してもおかしくない状況にまで陥りました。
私が倒産しかかった時、兄と父に助けてもらったので黙ってみているわけにはいきません。
自分の仕事も大変でしたが、それと並行してタイル工事業の立て直しに取り組みました。
タイル工事を、下請け仕事だけではなく一般のお客様向けに販売しようと試み、
チラシを何点か作りました。
毎夜毎夜、深夜までヘトヘトになりながら作りました。
しかし、その甲斐あってか、数点作ったチラシの中の1点、
「非常識な現品処分市」と題したチラシがいきなり当たって、
数百万円の利益を短期間で得ることができました。
これがきっかけとなり立て続けに工事を受注できたので、このまま波にのっていこうと、
一時は、「完全復活」の兆しさえ見られました。
しかしながら、「症状」は深く重く、
兄は必死になって仕事をしてきた甲斐もなく、過度の心労が積み重なって終には倒れ、
大量吐血しました。一晩で胃に大きな穴が空いたのです。
緊急手術をうけ、幸いなことに一命をとりとめましたが、長期入院はまぬがれません。
目前に迫っている事態を想像すると心臓の高鳴りが止まらないので、静かな病院で夜を明かすことにしました。
意識のない兄が病室のベッドに横たわっているかたわらで、まるで、テレビドラマでもみているような錯覚に陥りながら、
「もう、止めよか」、返事のできるはずもない兄につぶやき、覚悟を決めました。
数日後、タイル工事業が不渡り手形をだし倒産。
その半年後、多額の保証債務に耐え切れなくなった私も自己破産。
すべてを失いました。
その後いろんな方々の助けを頂きまして、タイルメーカー、タイル商社にて、外壁の補修、タイル工事、
建材販売などの仕事を5年間させて頂きました。
そして、2012年5月から、かとういち商店という屋号で今までの経験を最大限活かして、
リフォーム工事を再び行うようになり、現在に至ります。
すみません。
少しだけ自己紹介を、と言っておきながら読むのも面倒なくらい長い文章になってしまいました。
時間を取らせて、本当に申し訳ありません。
つまらない身の上話しと敬遠される方もあるでしょう。確かにその通りです。
まるで人様に言えるようなことではないですし、できればわたくしも、
こういう恥ずかしいことや思い出したくもないことにふたをしたいという気持ちはあります。
しかし、
ふたをしたままでは何時までたっても、違和感や不安は拭えないということが分かりました。
できれば、堂々としていたい、というのが本音です。
すべてにおいて堂々としていようと思えば、手抜き仕事やごまかし仕事など一切できません。
堂々としないでびくついた態度でいれば、必ず仕事にも悪影響を及ぼすと思うんです。
堂々とするには、自分の恥ずかしい過去であれ、さらけ出すことも必要かなと思ったのです。
本当は、もう私には、商売などする資格はないとあきらめていたんです。
私が自己破産したことにより、人様に迷惑をかけました。
しかし、迷惑を被ったにもかかわらず、今でも親交をもって、嫌な顔ひとつせず良くして下さる方々がいます。
また、
毎年12月になると必ず、私に仕事を依頼されるお年寄りがいます。
この方は昔からのお客様なんですが、「いつも少しの仕事ですまないねえ」、
「あんたのような人がいてくれて助かるわ」 と、
いかにも人の良さそうな顔つきで毎回決まって同じことを言って下さいます。
こういう、人の思いやりと優しさに触れるたびに心がジーンと熱くなり、
やっぱり、人と人との信頼関係がとても大切だということに改めて気付かせてもらうのです。
私の過去の失敗は決して褒められたもんじゃありません。
しかし、いつまでもクヨクヨしてうつ向いていれば、こんな私でも受け入れて下さる方々、
大変な時に支えて下さった方々に対して、とても失礼だと思ったのです。
そんな思いが日を追うごとに強くなり、少しでも何かのお役に立てれば、
という気持をもって継続させて頂いております。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。